脳脊髄液減少症と海外入院日記。

突然発生した頭痛と頚部痛。病名は脳脊髄液減少症。海外での通院と治療の記録。

療養期間中の癒し

11月に日本に帰り、相変わらずほとんど横になって鬱々と過ごしていましたが、

そんな中で1番の癒しだったのが実家で飼い始めた犬でした。

まさにペットセラピーで、あの子の世話をするために起き上がるというのが

とてもいいリハビリだったと思います。

愛犬は基本的に横になっている私をベッドがわりにしていましたが…

 

体力も筋力も衰えるので、ある程度強制的に何かする、というのは重要なのかもしれません。

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変化のない症状と帰国命令

ブラッドパッチから3週間経っても首の怠さは変わらず、

とても仕事に復帰できる感じではありませんでした。

 

海外で仕事がしたくて頑張ってきたのに

こんな形で終わりたくない。

ギリギリまで粘りたかったですが、

会社としては病人をいつまでも海外に残しておくわけにもいかず、

一旦日本に帰るようにと上司から告げられました。

 

仕方ない、けど割り切れない思いがありました。

もっとやりたいことが沢山あったのに。

もっと話したい人たちがいたのに。

何でこんな病気になってしまったんだろう。

悔しくて悲しくて 

遠い国まで来て看病してくれた母に当たることもありました。

 

1番辛かったときは、「スイス、安楽死」と調べました。

誰とも話したくなくて、どこかに閉じこもりたかった。

 

久しぶりに着いた実家は

懐かしくもなく、窮屈さしか感じなくて

みんなが心配してくれてるにも関わらず

ほとんど何も話さず過ごしていました。

 

 

 

 

10/31:ブラッドパッチ後、初のMRI

相変わらず怠さはのこり、

首が張る感じがずっと続いていたのでホッカイロで温めたり、トクホンを貼ってみたり、

また悪化するのがこわく、ごはんとトイレのお風呂以外は横になっていました。

 

ブラッドパッチ後、初のMRIはまだ脳脊髄液減少症の症状が残っていました。

今調べてみると、MRIで見られら症状が薄れるのはもっと時間がかかるようで、

この段階で治癒が見られないのは仕方なかったのだとは思います。

 

ただこの時のショックはとてつもなかったです…

完治が難しいのはわかっていましたが、

直面すると受け入れ難いものでした。

 

正直、夜中に何度も泣きました。

励ましてくれてる母の言葉にもイライラするばかり。

 

ただ現在私は仕事にも復帰し、普通の生活に戻れてはいるので、

この記事を読んでも焦らないでください。

ストレスも治癒が遅くなる要因となるので、

思いつめないよう。

好きな映画や本、治ったら行きたい場所のことを考えて、気を紛らわせるようにしてくださいね。

10/14:退院後1日目

数日ぶりの自宅です。

朝起きても頭痛はなく、首が引っ張られるような痛みもありませんでした。

 

ただ後頭部から首にかけてとても重たく、ソファにもたれかかっていても1時間身体を起こしているのも辛い。

発症からほぼ1ヶ月。早期発見だったとはいえ、ほとんど寝たきりで過ごしていたため体力も落ち、頭を支えていた首の筋肉も衰えていたのかもしれません。

 

ブラッドパッチの成功率は五分五分。

成功しても完全に症状が消えることはなかなか難しいと言われています。

今すぐ普通の生活に戻りたいのに戻れない。

身体が言うことをきかない。

これはかなりストレスです。

 

上司とも相談し、日本で一般的に入院期間となる2週間は自宅療養することになりました。

 

この年のロンドンはもうすっかり秋なのに、天気がいい日が多かった気がします。

母が掃除をするきにベランダのドアを開けると、ロンドンの秋の匂いがして

心地いい反面、寝たきりで過ごすことしかできないことが哀しくて仕方なかったです。

10/13: 退院

頭痛が消えない哀しみにくれていた前日とは異なり、

この日は頭痛なし。首も痛くない…!

ブラッドパッチの患部は痛い。

 

ブラッドパッチ、効果ありました。

ただ体力の低下と首の筋肉の硬直があり、

支えなしでは1時間も起きていられないという感じでした。

 

しかし、そんなに長く入院させてくれるわけでもなく、

頭痛がなくなったことを確認したら、即退院。

この日の午後には家に帰ることになりました。

 

帰りのuberの中、身体は起こしていましたがとにかく怠い。

でも久しぶりに吸う外の空気と、

すっかり秋になったロンドンの匂いを感じて気分が晴れました。

明日にでもどこか散歩に行きたい。

芝生でお日様にあたりたい。

今まで通り旅行にいって、知らない街を旅したい。

 

これからしばらく続くリハビリと精神的なストレスのことなど知らない私は、

とても短い幸せをかみしめていました。

10/12:ブラッドパッチ後、1日目

もう無理限界と思って寝返りの許可をもらい、

腰の激痛から逃れて迎えた朝。

 

頭がいたい。

 

寝てれば痛くなかったなのに、寝てても痛い。

今までとは違う、頭がガンガンする感じ。

もうこの時点で私の不安はマックスです。

ブラッドパッチ直後このような反応が出る人はいるようですが、不安で不安でたまらない。

 

しかし、ここは海外。

入院を長くさせてくれるはずもない。

 

朝ごはん後、とりあえずベッドから起きて椅子に座ってごはんを食べてと言われました。

あの猛烈な首の痛みが来そうで怖くて仕方なかったのですが、

起き上がってしばらくしても首が痛くない。

ずっと寝ていたので首が硬直しているような感覚はあるものの、

頚部痛はこの時点で完全に消えていました。

 

ただ引き続き頭痛は残っていました。

 

頭が痛くてベッドで鬱々としていると

次は看護士さんに、シャワーでも浴びたらスッキリするわよ!とシーツを取られ、シャワーを浴びることに。

看護士さん、つよい。

 

ブラッドパッチ後、日本だと数日は絶対安静のはずなのに…。

ただこのシャワーは少しスッキリして、頭痛が少し和らいだように感じました。

まだ痛かったけど。

 

通常の痛み止めを服用しながら、この日はうだうだと過ごして終わりました。

10/11:ブラッドパッチ

更新がとても遅くなってしまいました。

この半年ほどリハビリと帰国と職場復帰とでバタバタしていたため、なかなか向き合えず。

 

ではブラッドパッチ編です。

 

造影剤投与のMRIでバッチリ脳脊髄液減少症の症状が出たので、

すぐにブラッドパッチをやることになりました。

治療のリスク等を通訳さんを通して説明してもらい、ネットで調べつくした内容と相違ないことを確認し、同意書にサイン。

夜にブラッドパッチをすることに。

 

陽気な看護士のお兄ちゃんに可動式のベッド毎手術室に連れていかれたのですが、

ロンドンの病院って廊下狭いんですよね。

築100年超の修道院改装してたりするので、最新の可動式ベッドはギリギリ。

普通に壁にぶつかられ、Sorryとか言われます。

 

真っ白い天井が流れていくのを見つめながら、

ただただ頭痛がなくなることを祈るばかり。

陽気な看護士さんはGood Luckと言って去って行きました。

 

手術室に着くと麻酔科の先生と、数人の看護士さん。

日本では寝ている状態でやるのが一般的なはずですが、まさかの座った状態での施術です。

 

「痛かったら手をあげてね」

そう言われつつ、さくさく血液が採取され、ブラッドパッチの準備がされていきます。

Gabrielle AplinのNovemberが流れてたなぁ。

 

部分麻酔を打たれ、いよいよ腰に血液注入です。(あ、部分麻酔は普通に痛いです。)

 

血液注入された瞬間に何ともいえない鈍痛が腰から股関節に走ります。

い、痛い…

手をあげると「もうちょっとだから頑張って」と言われました。

いつも思うんですけど、手あげる意味ないですよね…

ちなみにブラッドパッチの痛みは人によってかなり違うようです。

 

施術自体はものの15分で終了したので、そのまま可動式ベッドで病室まで運ばれてゆき、朝まで絶対安静で寝返りを禁じられました。

 

仰向けです。

ブラッドパッチを下のは腰です。

全体重が腰にかかるなか麻酔が切れて死ぬほど痛い。

LINEで友だちにひたすら痛いと泣き言を送り続け、

夜遅いのに様子を見にきた主治医に、腰が痛すぎて頭がいたいのかわからないと言い、

最終的に痛み止めの点滴で眠りにつきました。

 

まあ、麻酔切れた瞬間に起きましたけどね。

 

そんなこんなで、ブラッドパッチは終了したのです…